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心理療法-交流分析3-脚本分析2

脚本分析の 2 回目です。まず交流分析における人生の考え方を再掲します。  人生は各自が脚本を演じているプロセスである。不幸な人は不幸な脚本を演じている。幸福になろうとすれば脚本を書き換えればよい。脚本は両親のメッセージを受け入れて自分が書いたものだから。「カウンセリングの理論」から一部改変   #脚本作成とのメッセージ 脚本は、親または親的役割を持つ人達から与えられたメッセージとそれに対する幼児の反応が組み合わさってできます。 # メッセージの種類  脚本のメッセージは言語的にも非言語的にも或いはこの両者の混合によって伝達されます。幼いときは言葉が理解できないので非言語的なもので伝えられ、一般的に非言語的なメッセージの方が影響力が強くなります。言語を理解するようになるまでは子どもの中にまだ大人心(A)や親心(P)は発達していなく、すべて子ども心(C)に伝達されると考えられます。 6 才ぐらいになると大人心(A)からのメッセージは子どもの大人心(A)に 親心(P)からのメッセージには子どもの親心(P)に伝わります。 1禁止令  親の子ども心(C)から出される様々な感情主体のメッセージです。主に言語発達以前に非言語的メッセージで与えられ、否定的なものは問題を来すことが多くなります。特に人生を制約し悲惨な結果を生む厳しいメッセージをグールディング夫妻は 12 個にまとめました。以下に記載します。 存在するな お前であるな 正気(健康)であるな 子どもであるな 大人になるな 成功するな 属するな 近づくな 考えるな 感じるな するな 重要であるな 2許可  親の子ども心(C)から出される肯定的メッセージです。禁止令の反対で何々して OK  というものです 3拮抗禁止令  3歳ぐらいになって子どもが言語を理解するようになった時期から、 社会生活をしていく上で大切だと両親が信じている事柄 ( ルール、価値観 ) を親から子どもへ言語で伝えられたもの。例えば、時間を守りなさい、ウソをついてはいけません等です。 親の親心(P)から出され、 初めは禁止令に拮抗するものと考えられましたが、今は拮抗する場合と強化する場合があると考えます。禁止令が苦痛であるので、禁止例を隠すような役割を持つこともあります。例えば 「 近づくな」の禁止令を持っている場合に他者と親密に

心理療法-交流分析2-脚本分析1 Ver.2

   生きるのが楽になることに関して交流分析の中で一番関連するのは脚本分析です。現在うつの治療として使われる認知行動療法では、間違った思い込みを持つに至った理由をあまり問題としません。交流分析ではその原因を探り根本治療を試みます。   構造分析およびエゴグラム、やりとり分析、ストローク、人生の立場などはネットでわかりやすい解説があふれています。それらを参考にされてください。またゲーム分析はいずれ触れる予定です。脚本分析を 2 回に分けて解説予定で、その 1 回目です。 # 交流分析における人生の考え方  人生は各自が脚本を演じているプロセスであり、不幸な人は不幸な脚本を演じているにすぎない。幸福になろうとすれば脚本を書き換えればよい。脚本は主に両親のメッセージを受け入れて自分が書いたものであるから。 「カウンセリングの理論」から一部改変   #脚本の定義  子ども時代に作られた無意識の人生計画で両親により補強され、以降に起こる様々な出来事により正当化され、最終的に選択された無意識の人生計画。 #脚本の特徴  1 )自分の人生のために特定の計画を立てる。 2 )幼児決断が脚本の基になる。 3 )両親は子どもの脚本を決めることはできないが様々のメッセージを与えて子どもに多大な影響を及ぼすことができる。 4 )多くの人は自分で決断したことを気づかない  5 )現実は脚本を正当化するために再定義される #脚本はいつできるのか  TA 第2版では7才までに要点を完成させ12才までに磨き上げる。安部さんの本では 6 ~ 7 才で筋書きを書き 20 ~ 22 才で書き上げるとなっています。 #脚本は何故できるのか 様々な幼児決断が組み合わされてできたものです。しばしば敵意ある、生命を脅かすようにさえ見える世の中を生きのびていくための、幼児が最もよいと考えた生き方を表していると考えます #脚本の内容   勝者、敗者、平凡な脚本と 3 種類に分けられます。   幼児期に両親から充分にストロ-クをもらっていると勝者の脚本をもつ。これは自分の人生を自分で切り開き、自己実現に向かう脚本です。一方両親やその代わりになる人から適当な世話を受けず十分なストロ-クが得られなかった人は敗者の脚本を持ちやすく、悲しい結末を迎えることが多くなります。 大多数はそのどちらでもない

心理療法ー交流分析1ー交流分析とは何か Ver.2

 心理療法-交流分析-交流分析と何か    交流分析( Transactional   Analysis = TA )とは、人と人の間で行われる交流を分析することで ① 自分自身の人間理解を深め ② 自立的な生き方を可能とし ③ 人と本当の交流が出来るようになることをめざすものです。精神科医エリック・バーンが始めました。   # TA に基本的な姿勢  1 )人は誰でも OK である 2 )人は誰でも考える能力を持っている 3 )自分の人生は自分が決める。故に自分で変えたいと思えば変えることができる #4 つの分析   人間のこころには親心、おとな心、子ども心があり(構造分析)、人とつきあうときにはこの3つのこころを状況により出し入れすることが大切である(やりとり分析)と考えます。又、不快な結末に終わるやりとりがパターン化して何度も繰り返されるものをゲーム(ゲーム分析)と呼び、さらに幼い頃に親子の交流を通して自分が下したひとりよがりの結論から、このように生きなければならないという行動パターン(人生脚本)に縛られて自らを失敗に追い込んでしまうことがあることを問題とします。 #ストローク  相手の存在や価値を認める様々の刺激のことを「ストローク」と呼びます。このストロークを得るために人は交流すると考えます。ストロークには肯定的でなく否定的なものもあります。肯定的なストロークが不足すると否定的でもよいからストロークを要求するようになります。 #人生の立場 (私は OK( でない )  あなたは OK( でない ) ) 私と周りの人を「自他肯定 自己肯定他者否定 自己否定他者肯定 自他否定の4つに分類することができますが、子供時代に自分の立場としてそのうちの一つを選んでおり、その立場が様々な影響を与えると考えます。 ストロークや人生の立場を考慮しながら 4 つの分析をしていくのが交流分析です。 私が考える交流分析が自習しにくい理由をあげておきます 1専門用語が多く、ラケットやゲームと言った俗語が多いが、その概念がつかみにくい    2初期から様々の人の考えを取り入れて枠組みができあがっていった。何が正式なのかわかりにくいところがある。また日本語訳のバーンの著作は、読んでいて意味がとりにくい。   3アメリカでは治療技法を基に 3 つの学派に分かれ

生きるのが楽になる心理療法とは

自分自身がこうあらねばならないという思いこみが強く、生きづらさを抱えて生きてきました。大学生の息子がうつを発症したことから自身の生きたか考え直すことになり、 3 年ほどカウンセリングを受けました。よいカウンセラーでしたが、カウンセリングをやめられたので、自分で心理療法を勉強しようと思いました。 本屋さんに種々の本があります。「生きるのが楽になる」等と書いてあるものは、いろいろな心理療法から都合の良いところを持ってきて自分なりの解釈で書いてあるのが多いです。きちんと自身で自己分析するための心理療法でわかりやすいのは論理療法です。ビリーフという概念をはじめに導入したのは論理療法かと思います。誤ったビリーフ(意識的にあるいは 無意識に取り込んだ「正しいと信じている思い込み」のこと)にしばられると様々な問題を引き起こしますが、自分で取り入れたことだから書き換えることができると考えます。論理療法と行動療法からうつの治療に用いられる、認知行動療法が作られました。 さらに私が昔から知っていて有用と思っていたものに交流分析があります。かつて九州大学の心療内科で働いていた杉田峰康さんの本が古いですが、わかりやすく面白いです。簡単に説明すると、人間のこころには親心、おとな心、子ども心があり(構造分析)、人とつきあうときにはこの3つのこころを状況により出し入れすることが大切であると考えます(交流パターンあるいはやりとり分析)。たとえば、仕事はおとな心同士でやりとりをする。日常会話で相手が子ども心で甘えてきたらおとな心で答えるとうまくいくが、おとな心で返す(甘えるなというメッセージになります)とやりとりがうまくいかないということになります。さらに幼い頃に親子の交流を通して自分が下したひとりよがりの結論から、このように生きなければならないという行動パターン(これを交流分析では人生脚本といいます)に縛られて自らを失敗に追い込んでしまうことがあることを問題とします。これもビリーフと同じで自分で作ったものですから書き換えることができると考えます。以前交流分析を学んだときは、構造分析と交流パターン分析まで終わっていたのが悔やまれます。これらビリーフや人生脚本など自身の行動を縛るものにどう対処するかということを中心に心理療法をみていきたいと思います。        

仏教における悟りとは Ver.2

人生は思いどおりならないから苦である。快楽を求めて欲望を増殖させ、不快を嫌がって怒る。だけど取り除く方法がある。無常であること、優れている、劣っているがないことを認識し、求めてもしかたがないことを、実感できればよい。 本では八正道を修める必要が説かれる。つまり正しい見解 正しい思い 正しいことば 正しい行い 正しい生活 正しい努力 正しい記憶 正しい心の統一。悟りに達するために禅、瞑想などの精神統一の方法を学ぶ必要があろう。   参考図書 仏教聖典 仏教伝道教会 和文だけと和英対照の 2 種類あり。 大乗仏典からも引いているが半分以上は原始仏典より 用語集などもあり意外と使えます   阿含経典による仏教の根本聖典 増谷文雄 大蔵出版 読んでみると面白い 通読できます。初学者がアクセスしづらいさまざまな経典から集められているのがよい。   ブッダが考えたこと 宮本啓一 春秋社 ブッダの教えを哲学的にわかりやすく記載あり   ブッダのことば 宮本啓一 春秋社 ことばに即して解説があります。わかりやすい。  

仏教で救われたこと

   私は仏教を宗教ではなく、哲学として捉えている。自身がうつに近い状態が長く続き、なかなか這い上がれなかったとき、 ① 他人がどのようなことをしても自分の心が、自分に対してなすことよりはひどくない。自分こそが自分を苦しめている。 ② 比較することは意味が無い。という言葉に出会った。この 2 つがわたしにとって救いになった。 1 は感興のことば 31 章やダンマパダ 3 章、 2 はスッパニパータ第 4 章にある。白鳥春彦の超訳仏陀の言葉から、①は自分を責めてはいけないというふうに考えていた。(後に原典に当たり、よこしまな考えは自分に対してひどいことをするという意味であることを知った。)うつ状態になるのは他人の振る舞いからではなく自分が自分を責めるからだ。と当たり前とも言えることに気づき、自分を許すことができた。②はスッパニパータで何回もでてくる。ブッダの教えは幅が広い解釈が可能と言えるのかもしれない。  ダンマパダはいわゆる道徳的なことがらが多く、それほど好きではない。個人的にはスッパニパータの方が好きである。前谷彰の素敵な訳もある。この二つ以外の経典はなかなか簡単にアクセスできず敷居が高い。今後時間を見つけて少しずつ読んでいきたい。龍之介氏の超訳も手放せない。   参考図書 ブッダのことば 中村元訳 岩波文庫  3 回目の推薦 ブッダ真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫  2 回目の推薦 古く読みにくいが、内容の良さ、詳しさから初めに入手するとよいと考えます。   ブッダの教え~真訳・スッパニパータ 前谷彰訳 講談社  3 回目の推薦 個人的にはおすすめです。三人と協同で訳すようになったいきさつが素晴らしく、ある意味奇跡の書と思っています。   新編 スッパニパータ 今枝由郎訳 トランスビュー  3 回目の推薦 読みやすい、スッパニパータの概略をつかむのによい。出家信者の為だけの教えや細かな哲学論議を省き、 3/4 が割愛されているが、やや省きすぎと思います   超訳 超訳 ブッダの言葉 小池龍之介 ディスカヴァー  2 回目の推薦 ブッダの言いたいことを簡潔にわかりやすく提示している。ただ時に訳が砕けすぎている。   超訳 仏陀の言葉 白取春彦 幻冬舎  2 回目の推薦 熱量

ダンマパダ(法句経)

    おそらく一人の編集者がさまざまのテクストからブッダの真理(パーリ語でダンマ)の言葉(パーリ語でパダ)だけを取り出して簡単な偈(詩の形)に統一したもの 2 ) 好きなところをおしめしします。   1 心はすべてのものに先立ち、すべてを作りだしすべてを左右する 5 怨みが怨みによって消えることはついにない   怨みは怨みを捨てることによってこそ消える 42 怨みを持った人が恨む相手に何をしようとも   邪悪な心はそれ以上にひどいことを自分自身にする 50 他人の過ち、他人のしたことしなかったことを気にするな   ただ自分のしたことしなかったことだけを見よ 69 愚か者は、悪い行いの果報が現われるまでそれを蜜のように思う 117 悪い行いを積み重ねるのは苦しみである 134 荒々しい言葉を口にしなければ、あなたは怒ることなく安らぎに達する 136 愚か者は悪い行いをしながらそれに気づかない 165 汚れるのも浄まるのも各自の行い次第であり、人は他人を浄めることはできない 204 健康は最高の財であり、信頼できる人は最高の友であり、安らぎは最高の幸せである。   参考図書 すべて全訳です 1 )ブッダ真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫 古く読みにくいが、内容の良さ、詳しさ、入手のしやすさなどから初めに入手するとよいと考えます。   2 )日常語訳 ダンマパダ 今枝由郎訳 トランスビュー 読みやすいです。   3 )法句経 友松円諦 講談社学術文庫 原典に沿って詩の形式で訳すことを心がけている。その為意味がとりにくいところがある。意味を理解してから読み直すと良さがにじみ出てくる。